睡眠時間
おやすみと言えたらいい。
(というのを見かけただけで本当かは知らない)
1、否認
亡くなった現実を受け入れられない段階。
2、怒り
「どうして」「もっと〇〇していれば」と、やるせなさを感じる。
3、取引
「返してほしい」と神や運命に奇跡を願う。
4、抑うつ
生き返らないことに絶望を感じる。深い悲しみと喪失感に苛まれる。
5、受容
ゆっくりと受け入れ日常に戻っていく。悲しみはあれど、冥福を祈り、感謝の気持ちと共に思い出を大切にできるようになる。
これは多分、どういう宗教観を持っているのか、またどんな別れだったのかによっても、だいぶ変わるんだろうけど、
私は3はすっ飛ばしましたね。
思うに、不慮の事故や災害などで亡くした場合には、そういう過程が入ることもあるんじゃなかろうか。
私は「できることはやった」って思えているからなぁ。
あ、すいません愛猫の話です。
いや一向にオタクの話が出てきませんね。笑
実際、今、ほんと何もしてないんですよ。
シンプルに、気が乗らなくて。
こういう場合、悲しみを乗り越えるためにオタ活に勤しむ人もいるだろうけど、
私はなんか……多分、悲しみを真正面から観察したくて。
BUMP OF CHICKENの藤くんが大昔に、確か「睡眠時間」という、亡くなられたお祖父様に宛てた曲についてのインタビューで言っていたと記憶しているんですけど、
「死は、その人が最後にくれるプレゼント」
って、本当にその通りだと思うんですよね。
「死」って、すごく当たり前の自然な現象でありながら、
身近なところ、身近な関係の中では、頻度としてはなかなか起こりにくいですよね。
医療従事者の方とかは、またちょっと違う話にはなりますけど、
恐らくは多数派にとって、特に若いうちは、
周りの親戚とか友達とか、あんまり死なないじゃないですか。
(私は年齢的に、どんどん機会が増えていくんだろうな)
そして死は命を贖うことでしか発生させることができないから、
再現とか模倣とかでは体験できないし。
そう思うと、死と思い切り向き合って、触れ合って、
自分なりに受け止めていく経験て、無駄にしたくないというか。
そう思えるのは、今回のような健全な死別に限るのかもしれないけれど。
私の祖父も、もう他界しましたけど、
もう少しで100歳に手が届くか、という年齢で、
めちゃくちゃ純然たる老衰で亡くなったんですよね。
大病もせず、点滴すらなし、自宅のベッドで。
居合わせて、看取ることができたんですけど、
人間の最後の呼吸が沈む音、電池が切れるみたいに停止していく脈拍、
そういうのを目の前で見て、触って、
本当に神秘的で、美しくて、とても感動したんですよね。
その経験があるからか、死に対しては、
少し神聖視するような、恵んでもらった機会を大切にしたいというような気持ちがあります。
愛猫の死も、しっかり、全部、受け止めて大切にしたい。
今はそちらに集中しています。