正しさ
何においての、正しさ?
「作品」に「正しさ」をどこまで求めるのかは、人それぞれだよなぁ。
構造がありえない建築とか、間違った外国語とか、
それを「表現」や「味」と捉えるか、
「間違い」と否定するか、
「間違いと断じた上で表現として肯定する」か、
その辺は正解はないよなぁ。
それを「表現」や「味」と捉えるか、
「間違い」と否定するか、
「間違いと断じた上で表現として肯定する」か、
その辺は正解はないよなぁ。
その間違いが活きるからこその、作品のクオリティ、という場合、
それは作品としての正しさと言えるのか。
例えば宮﨑駿作品では、建築は構造として矛盾しないらしいが、
演出として物理的におかしい描き方は多用されてるとか、わざとパースを狂わせてるとか。
J-popの歌詞に含まれる英語が間違ってたとして、
だからといって「音楽としての価値」がどれほど下がるもんだろうか? とか。
作る側も受け取る側も、正しさを取るか表現を取るかは場合によるよねぇ。
でも、わざと外している(と公言している)表現とか、
間違いは分かった上で評価している人に対して、
「間違ってるので駄作」みたいなことをわざわざ言うのは、無粋かな、ちょっと違うかな、とは思うけど。
ある程度のあそびというか、許容範囲はあった方が、何事も豊かだと思っているので、
目くじら立てず、また判断基準は人それぞれであることを意識しつつ、
色んな作品、色んな意見を受け止められたらいいなと思います。
例えば宮﨑駿作品では、建築は構造として矛盾しないらしいが、
演出として物理的におかしい描き方は多用されてるとか、わざとパースを狂わせてるとか。
J-popの歌詞に含まれる英語が間違ってたとして、
だからといって「音楽としての価値」がどれほど下がるもんだろうか? とか。
作る側も受け取る側も、正しさを取るか表現を取るかは場合によるよねぇ。
でも、わざと外している(と公言している)表現とか、
間違いは分かった上で評価している人に対して、
「間違ってるので駄作」みたいなことをわざわざ言うのは、無粋かな、ちょっと違うかな、とは思うけど。
ある程度のあそびというか、許容範囲はあった方が、何事も豊かだと思っているので、
目くじら立てず、また判断基準は人それぞれであることを意識しつつ、
色んな作品、色んな意見を受け止められたらいいなと思います。