後悔する余裕

取れかけのかさぶたみたいなもの。



愛猫が旅立って、半年が経つ。
早いのか遅いのか、よく分からない。

最近は随分と受け入れが進んで、余裕が生まれてきたからか、
胸につかえていた後悔に、処理の順番が回ってきたかもしれない。
そんな体感がある。


治療、もっといい方法があったんじゃないか。


実は、ずっと心の奥の方で、燻っていたんよね。
今更言ったってしょうがないことだから、考えることもない、と触れずにいたけど、
「あ、やっぱり、そう思ってるな、私」と、最近は目を向けられるようになった気がする。

やれることはやったし、都度納得して選択したし、
それ自体は受け入れている。執われているわけじゃない。そこは割り切れてる。

なんかもっとこう……ifストーリィというか、
もしあっちの薬を先に試していたら、違った結果になったのかな?
とかって「すべてがいい方向に噛み合った場合」の存在しない未来が脳裏にチラつく。

どうしてそうしなかったんだ〜みたいな嘆きじゃなくて。
そもそも、命には終わりがあるんだから、
遅かれ早かれ別れは来るんだし、いや、もう来たんだし、
間違いだとか失敗だとかってわけじゃないんだよね。
そう、やれることは、やったんだから。
自分を責めてもいないし、やっぱり「自然なこと」って思えてはいる。

なんて言ったらいいか……
去る命に、縋りたくはない。
やっぱり、しっかり、「大丈夫だよ」と送り出したい。

だから、後悔も、それに乱されるんじゃなくて、無理に捨てるのでもなくて、
それすらも大切な思い出として、
しかるべき場所に、しかるべき処理をして、しまっておきたい。


それにしても、
死後の世界なんて信じてもいない私だけど、
向こうは今、寒くないかな、なんて想像するし、
日向でポカポカになった冬の毛並みの暖かさを思い出している。

いつまで思い出せるかな。
いつまでも思い出せるといいな。